言葉を教えたり習ったりすることは本来、善意と信頼に基づかない
と成立しません。教える方は、生徒が上達して成長することを
願いながら教え、生徒の上達が教師に大きな喜びとやりがいを
もたらします。また、学ぶ方は自らが愛されていることを前提に、
教える人を信頼して学びます。しかし、時々、この二人の間に
誤解が生じることがあります。スクール経営者であり教師でも
ある私は、両方を人間的にも立場的にも知っているだけに、間に
入ってお互いの誤解を解こうと努力しますが、人間、感情の動物、
どうにもならない時があります。そういう時は悲しく無力感を
感じます。人間の好悪や感情の問題は簡単に、理性だけでは解決
しません。そんなことは分かりきっているのですが、それでも
スクールを経営し運営する責任者として、一人ひとりの生徒の
良さや彼らがしている努力を講師に伝え、また、講師の努力や
善意を生徒達に伝える努力をしています。そのような姿勢で運営
しているお陰なのか、私の自慢は素晴らしい生徒たちと素敵な
講師の先生方です。しかしそれでも多くの生徒がいると時々、
誤解が元で、不本意にスクールを去って行く生徒を見る辛い体験
をします。16年スクールを経営していても、このことにけっして
慣れるという事はありません。でもこのような話を一般化して
話すと、私を慰め、元気付けてくれるのもこれまた生徒なのです。
スクールの生徒たちがどんなに人間的に素晴らしいかを、私が
よく自慢するのも、このような理由からです。素敵な人々に出会い
たかったら、私たちにのスクールへ気楽に話をしに来てください。
待っています。