Sense of Humor
先日、お昼の弁当を買おうとコンビニへ向かって道を歩いていました。
すると真後ろでキィー・キィッという自転車のブレーキをかける鋭い音
がしたので、振り替えると、60代の初老の男性が乗った自転車と、
前後に二人の幼い子供を乗せた、金髪に髪を染めた若い母親の自転車が
軽く接触したところでした。
瞬時に私の目に入ったのは、人のよさそうな初老の男性の少し申し訳
なさそうな笑顔でした。きっと彼はたいした接触でもなかったので、
お互い笑顔を交わしてすれ違おうとしたのだと思います。
私もコンビニへ向かうため向きを戻そうとしたまさにそのとき、
若い母親から「ドコミテンダ!バカヤロー!」という罵声が飛んできました。
一瞬男性の顔から笑みが消え、あたりは険悪な雰囲気になりました。
男性はそのままブスッとした顔で、私を追い越して行ってしまいました。
私が当事者ならどんな反応が出来たでしょうか。「テメーコソ、バカヤロー!」
と、その女性に同じように怒鳴り返すことは簡単でしょう。
しかしユーモアを持って返すことは出来ないでしょうか。しかも
こちらのユーモアが相手に非を悟らせることが出来るなら最高です。
「俺も悪い母親に育てられたから人生誤ってしまったよ。君たちは
しっかり成長しろよ。」と、その女性が前後に乗せている二人の子供の
頭を撫でて、ウインクでもしながらその場を離れるというのは
どうでしょうか。これをその場で瞬時に行うのはとても難しいでしょうが。
西洋の人々(アジアやアフリカの人々もそうだと思いますが、
残念なことにここで取り上げるほど経験がありません。)
と会話をするとき、ユーモアやウイットに富んでいるかどうか、
これが大変大切になります。
もちろん同じ西洋人と言ってもそれぞれの国民性があり、
ユーモアやウエットの内容や質は異なってくるのですが、
知的会話で聞き手を喜ばせる、微笑ませる、笑わせる、そして
自らもそれらを楽しむというサービス精神は何処でも一緒です。
私がまさにそうですが、一般的に日本人はユーモアやウエット
に欠けるといわれます。これにはいろんな理由があると思います。
笑いは異質なものとの接触による価値観や視点の逆転によって生まれます。
異民族との接触の少なかった農耕民族が住む島国日本では、
同質性が重んじられ、言語的にも社会生活的にも、ユーモアやウエット
の精神を余り発達させなかったのでしょうか。
また、普段の会話の中にユーモアやウエットを自然に用いるには、
ある程度訓練が必要です。西洋人たちはその言葉の訓練を、
若いときから社交という中でやってきております。
ですからそのような訓練を受けてきていない我々日本人は、
外国語を話すときは少し意識して、少々大げさに表現することを
心掛けてはどうでしょうか。
私自身、日本語では少し気恥ずかしいことでも英語なら言えますし、
女性を褒めるならフランス語ならもっと楽に表現できます。
これもそれぞれの言葉が持つ歴史や文化だと思います。
あなたの外国語での会話に、少しユーモアやウエットが入ってきたら、
とても素敵な会話になります。少し意識してそれらを使ってみましょう。